ラリー・ジェニングスはアメリカのセミプロマジシャンで、とくにカードマジックにおけるエキスパート、クリエイターとして奇術史に名を残しています。
近代クロースアップマジックの父とも言える巨匠ダイ・バーノンの第一の弟子とも言える存在で、バーノンが築き上げた近代カードマジックのクラシックテーマに対して、さらに現代的な方法と現象を考案して豊穣な世界を提示していった人だと思います。
ラリー・ジェニングスが世に放った作品の中で、その後の多くのマジシャンが追随し、バリエーションを生み出す元となったプロットは数多くあります。
とくに1969年のバーノンのお供としての来日時のインパクトと、1972年の加藤英夫による「ラリー・ジェニングスのカードマジック入門」の出版により、日本人でカードマジックを学ぶ人への影響はきわめて大きいものがあります。
「カードマジックのすべてに精通した男」とは、ダイ・バーノンがラリー・ジェニングスを評して言った言葉です。
ラリー・ジェニングスとは
ラリー・ジェニングスはダイ・バーノンの弟子(student)の一人で、とくにマイケル・スキナー、ブルース・サーボンと並んで、3羽烏と称されることもあります。
この3人はそれぞれ異なる個性を持っており、マイケル・スキナーはテクニシャン、ブルース・サーボンはパフォーマー、そしてラリー・ジェニングスは、クリエイターとしての評価が高いです。
ラリー・ジェニングスがマジックを本格的に始めたのは21歳を過ぎてからのことで、マジックの専門家としては比較的遅咲きです。
しかしマジックに目覚めてからの彼の集中力はすさまじく、その頃の彼の職業はボイラー技師だったのですが、基本的に業務はボイラーを見ているだけだったので勤務中はヒマで、常にカードの練習をしていたそうです。
また、コイン・スルー・ザ・テーブルの練習しすぎでテーブルに溝が出来てしまったといいます。
その後1960年代初めにラリー・ジェニングスはダイ・バーノンと出会い、バーノンを生涯の師と仰ぐことになるのです。
ラリー・ジェニングスのマジック
ラリー・ジェニングスのマジック作品はカードマジックを中心におびただしい数にのぼり、クラシックとしてマジック史に残る作品だけを挙げてみても、例えば”Open Traveler“、”Visitor“、”Ambitious Classic“といった作品が有名です。
主な作品はカードマジックですが、”Single Cup and Balls”という作品は、他のカップ&ボールに無い極めて独創的な手順として輝いています。
大小のボールのみならず、カップそのものの出現と消失が含まれる手順は、ちょっと他にはあまり見られない独特の現象です。
またコインマジックにおいては、ボールのマジックで使われていたポップ・アップ・ムーブという技法をコインに応用したことがよく知られています。
ラリー・ジェニングスのマジックの作風は、3羽烏の中でもクリエイターと評されているように、技巧的な洗練や演出の工夫というよりは、独創的な現象と方法論を重視した作品が多いです。
ただ新しい現象と方法を重視するあまり、ときには強引とも思える解決法や、少々不自然なハンドリングとなっている作品も見受けられます。
やはり研究者・レクチャラーとしての面が強く、マジックの実演家としては収入面でもブルース・サーボンなどには及ばなかったと思います。
そういった面を差し引いてもなお、例えばビジターのような作品における方法論は、発想の根本レベルでカードマジックに変革をもたらすものであり、オープン・トラベラーのクラシカルな風格はゆるぎないものです。
やはり天才であったのは確かと言えるでしょう。
ラリー・ジェニングスの生い立ち
ラリー・ジェニングスは1933年2月17日にデトロイトで生まれました。
少年時代にはマジックを観た経験はあっても、本格的に演じることは無かったようですが、1956年にプロマジシャンのロン・ウィルソンが彼の近所に引っ越してきたことにより、ラリー・ジェニングスの進路は大きく変わりました。
有名な話ですが、ロン・ウィルソンがラリーに見せた「アウト・オブ・ジス・ワールド」というマジックは、彼を完全に魅了し、これが彼をカードマジックの虜にさせる決定的経験となったようです。
その後1960年代初めにロン・ウィルトンと共に参加したクリーブランドでのマジックコンベンションで、彼はダイ・バーノンと初めて出会い、1961年にはブルース・サーボンと知り合いました。
1964年に、ラリーはカレル・フォックスから、ハリウッドのマジック・キャッスルの話を聞き、ダイ・バーノンもキャッスル周辺に住んでいるとの話を聞くに及んで、それまで勤めていた仕事を退職し、ハリウッドに移住することとなりました。
それ以来、ラリー・ジェニングスはダイ・バーノンの弟子(student)として、師とともに人生を過ごし、バーノンが持つ奇術古典のすべてを吸収してゆきます。
その後のジェニングスの軌跡は、マジシャン・クリエイターとしてよく知られたものですね。
1969年にはバーノンと共に日本でのレクチャーツアーを行っています。このレクチャーツアーで通訳を務めたのが、テンヨーの加藤英夫氏でした。
1979年には、アメリカの権威あるクロースアップマジックコンベンション「FFFF」(フォー・エフ)において、彼が”Guest of Honor”(年に1回の最高名誉表彰。日本人では高木重朗氏などが選出されています。)に選出されます。
そして1997年10月17日、ラリー・ジェニングスは64歳で亡くなりました。
ラリー・ジェニングスの関連文献
彼の作品が発表された文献等はおびただしい数に上るので、とても全部は挙げきれませんので、主だったところを紹介いたします。
1967年に発行された「Dai Vernon’s Ultimate Secrets of Card Magic」に彼の作品が掲載されています。
1970年5月には、アメリカの奇術雑誌Geniiのラリー・ジェニングス特集号が組まれました。
1970年に加藤英夫氏はアメリカに渡ってラリー・ジェニングスのカードマジックを研究し、その成果を元に1972年、「ラリー・ジェニングスのカードマジック入門」が日本で出版されました。
1970年代中ごろには、カール・ファルブズ発行の奇術雑誌「Epilogue」においてラリー・ジェニングス特集号が組まれます。
1986年、マイク・マクスウェルによって「The Classic Magic of Larry Jennings」が出版されます。これはラリー・ジェニングスの最もまとまった作品集となっています。
さらに1987年には「Neoclassics」、1988年には「The Cardwright」と、相次いでハードカバーの作品集が出版されています。
彼の死と同じ年の1997年、リチャード・カウフマンによって、ジェニングスの遺作集とも言える作品集「Jennings’67」が出版されています。
この本は邦訳版が「ラリー・ジェニングス カードマジック」として東京堂出版から出ています。
その他「Richard’s Almanac」にも多数の作品が掲載されています。
映像資料では、L&L Publishingより「Thought on Cards」、「Classic Magic」、「A Private Lesson」などの作品が出ています。
ラリー・ジェニングスの日本語書籍
ラリー・ジェニングスのマジックを学べる日本語書籍でまとまったものは、「ラリー・ジェニングスのカードマジック入門」と「ラリー・ジェニングス カードマジック」の2冊でしょう。
(書名が似ているので注意してください。前者は初心者向け、後者は超マニア向けです。)
他に、「カードマジック事典」、「カードマジック入門事典」にもいくつかの作品が散らばって解説されています。
また、彼がマジックを始めるきっかけを作ったロン・ウィルソンの「Way Out of This World」(この世の果てへの道)は、「ロン・ウィルソン プロフェッショナルマジック」に解説されています。
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