コインマンにとって、六人部慶彦という名は伝説です。
氏の実技が神業のように巧みだから、という理由はもちろんあるのですが、さらに大きな要因は、露出度の低さだと思います。
ダイ・バーノン来日時に六人部氏が見せた演技により、「日本には5本の指を伸ばしてパームの出来るマジシャンが居る」、として世界で話題になりました。また日本人奇術家の作品集「ニュー・ゼネレーション+α」では、ヒロ・サカイ氏の筆により「マジシャンに絶望を感じさせる演技」とまで評されました。
にも関わらず、一般人が六人部氏の演技を見る機会はほとんどありませんでした。
氏はアマチュアマジシャン(本業は歯科医)ですので、定期的に決まった場所で演技をされているということもありませんし、コンテストや発表会に出演されるということも、ほとんど無かったはずです。テレビに出演されたという話も聞いたことがありません。
いまやビデオやDVDの時代に入り、居ながらにして世界中の名人マジシャンの演技を見ることも可能な時代となったわけですが、Steavensのビデオなど、ごく少数の例を除いて、六人部氏の演技をまともに鑑賞できる映像もありませんでした。
幸いにして書籍の形では、「夢のクロースアップマジック劇場」や「クラシックマジック事典2」などにおいて、本人のイラストと文章による詳細な解説が発表されています。
これまでは、そういった絵と文の解説を見ながら、想像たくましく神業の似姿を夢見るしか無かったのです。
そう、これまでは。
ついに、伝説をこの目で見られるときが来たのです。
マジックショップGINで制作されたDVDには、これまでも六人部氏がゲスト出演されていたことはありましたが、六人部氏をメインに据えた単独の作品集は、今回が初めてです。
今回は第1巻ということで、主に技法に比重を置いた内容となっています。今後も後続の巻が発売される予定とのことで、うれしい限りです。
収録技法は、六人部氏の作品が以前に発表された書籍「夢のクロースアップマジック劇場」の内容とかなりかぶっています。
しかし、映像の強みを生かした圧倒的な詳細さはもちろん、書籍では含まれて居なかったTipsも、今回のDVDには多数含まれています。
六人部慶彦氏のDVD「ANOTHER」の内容
DVDの内容は、ムトベパームとその関連技法が5項目、それ以外の技法が4項目、それらの技法を用いた手順が4種です。
解説は、演者側視点からだけでなく、真下からの視点や、適宜のクロースアップ映像など、詳細が良く理解できるように工夫がされた構成です。
ただし全編に亘って、演技・解説はセリフなしです。BGMを背景に、字幕による解説が入ります。
以下、それぞれの内容を簡単にレビューします。
ムトベパームポジション
ムトベパームのポジション自体の解説です。コインを保持する位置、力をかけるポイントから、見せるべき角度も詳しく解説されています。さらに、「こうやってはいけない」というダメなパターンまで具体的に例示されており、理解が深まります。
また、個人的には長年の疑問であった、ムトベ・パームとラモント・グリップの違いについても触れられていました。
ムトベパームへのトランスファ
フィンガーチップレストポジションからムトベパームに移行する方法が、2種類解説されています。
これは「夢のクロースアップマジック劇場」に解説されていたMethod1と2に該当するものです。とくにMethod2のほうは書籍では軽く触れられていただけでしたが、今回のDVDでは詳細な指使いや、手順の流れの中での使い方なども含め、かなり詳しく解説されています。
ムトベバニッシュ
六人部氏の代名詞とも言うべき、伝説のバニッシュ技法です。ムトベ・パームをダイレクトにバニッシュ技法に応用することにより、リテンション・バニッシュのような動きでコインを左手に握った瞬間、右手を大きく広げて見せることができます。
これは「夢のクロースアップマジック劇場」にも詳細に解説されており、私も長年演じてもきました。が、やはり原案者の実演を見ると違います。ここまで細部に亘って考え尽くされているのか…と。
ムトベパームからのローディング
これも「夢のクロースアップマジック劇場」に解説されていた技法です。が、その時点よりも若干改良というか、単純化されている要素もありました。
いやしかし、これは前方視点から普通に実演されているところを見ると、技法を知っている目で見ても、そこまで手が近づいているように見えないほど自然ですね。
ムトベパームからのワイプトクリーン
ムトベパームを利用した、比較的単純な動きのワイプトクリーンと、ワイプトクリーンから連続した動作で行うスリービングが解説されています。
スリービング技法のほうは、書籍で解説されていたものとほぼ同様です。ワイプトクリーンは、「夢のクロースアップマジック劇場」に載っているローディング2と似ていますが、少し異なる動きになっています。
アナザーリテンションバニッシュ
これも氏のオリジナル技法として有名なものです。「夢のクロースアップマジック劇場」に同名で解説されています。
書籍の時点でも、図入りでかなり詳細に解説はされており、今回のDVDでも大枠は同じ動きのようです。しかし、細かなコツに関する情報量が圧倒的です。さらに、書籍のほうの解説では明らかに含まれていなかった要素もあります。
これは、以前の文章の解説ではそこまで書ききれなかったということなのか、あるいはおよそ20年以上の間に、六人部氏自身の研究が深化したということなのか、どうなのでしょうか。
いずれにしても、ここまで詳細なコツを伝えられるのは、やはり映像ならではの強みだと実感しました。
アナザーローディング
さきほどの、ムトベパームからのローディングと似ていますが、より接触感の低いローディングです。
正面視点からの実演を見たときは、正直、やり方が分かりませんでした。しかし裏側から見せていただくと、意外と単純な方法。これは是非練習して使いこなせるようにしたいものです。
アナザーワイプトクリーン
アナザー・リテンション・バニッシュに続けて行うことの出来る、ワイプトクリーン(コインを隠したままで、両手を改めてみせる技法)です。
「夢のクロースアップマジック劇場」掲載のWiped Clean 2とほぼ同様の技法ですが、少し改良したやり方も含めて、2パターン解説されています。些細な違いですが、今回新しく解説されたハンドリングのほうが自然に見える気がしました。ただし難易度は少し上がっているような気も。
エッジグリップテクニック
フィンガーチップ・レスト・ポジションからエッジ・グリップに移行させるやり方、そして、エッジグリップにコインを保持したままで、指先で別のコインを改めて見せる技法の解説です。
この技法の存在は今まで、人づてに聞いたり見せてもらったりして知っていました。自分でも何となく見よう見まねで練習したりもしていましたが、どうもしっくり来ませんでした。
今回この技法の詳細な解説を見て、目から鱗が落ちるとともに、今まで自分がいかに間違った適当な動きを行っていたのか思い知らされました。そして、その裏の動きを知ってから、また再び正面からの実演を見ても…やっぱりありえないほど自然に見えます。
この技法はとくに、指の長さがかなり関係して来そうです。映像で見る限り、六人部さんの指に比べると私の指はかなり短いように見えるので、そのあたりは自分で工夫が必要な感じがします。
手順#1
1枚のコインの消失・顕現を繰り返す、ワンコイン・ルーチンの手順です。
これまでに習った内容を総動員するような習作的手順でもありますが、さきほどの内容には含まれていなかった新しい技法も入っており、この手順自体も大変勉強になります。
手順#2
空の手から1枚ずつ、3枚のコインを出現させてゆくプロダクションの手順です。
3枚目の出現の見せ方が特徴的で面白いです。
クレジットにギャリー・カーツの名が挙げられていました。
手順#3
3枚のコインを1枚ずつ握って消してゆく手順。
これは「クラシック・マジック事典2」に載っている六人部氏のシリンダー・アンド・コインズの消失パートを、簡略化したような手順です。シリンダー・アンド・コインズの解説ではイマイチ詳細が分かりにくかった動作も、このDVDの解説でかなり理解出来た気がします。
手順#4
これも3枚のコインを1枚ずつ消してゆく手順です。
手順3ではテーブルに並べたコインを1枚ずつ取り上げて消してゆく形でしたが、この手順4では終始、全部のコインを指先に持ったままです。ハンギング・コインと同様の形ですね。
手順2に続けて演じるのに適している感じです。
最後に
六人部氏のコインマジックについて、誰かが精密機械と評されていました。DVDを見終えて、まさしく精密機械たる所以を見た思いです。
すべての場面での指の細かな位置や、ミリ単位での動きが、詳細に規定されています。各段階でのポジションや動きには全て、そうあるべき明確な理屈が存在するのです。感覚的に適当に行っている要素など少しも無いように感じました。
そして、これだけの詳細で理詰めの動きを正確に伝える手段としては、やはり映像にかなうものはないとも思えます。いえ、映像と文章の両方があるのが理想ですが。
大事なポイントを字幕で入れていただいているというのは、そのような映像と文章の補完効果も期待してのことでしょう。
まあ日本人としての欲を言えば、せっかくの撮りおろし演技ですから、六人部氏自身の声も聞きながら、実演を鑑賞している気分を味わいたかったという感想はあります。
映像の細部と字幕の両方を目で追うのは、忙しくもありますし。
最近のフレンチドロップさんから出ているDVDなどもそうですが、1つの製品仕様で国内と世界の同時展開を意識しているので、日本語のセリフは入れないという選択になるのでしょう。
ところで、一般にマジックを学ぶのに、映像と書籍のどちらが良いかについて意見が戦わされることがあります。
そんな場面で、書籍の利点としては、足りない情報量を想像で補うことによって、むしろ新たな知見が生まれることもあるということが挙げられます。逆に似たような側面からの映像の欠点として、見たままその通りのコピーに堕し易いということも言われます。
このような議論においては、私はどちらかというと書籍派です。
しかし今回の六人部氏のDVDにおいては、映像の圧倒的な力を痛感させられました。もちろん私も、「夢のクロースアップマジック劇場」その他の文献を、その行間まで読み込み、想像たくましく練習する努力をして来ました。しかし何と言いますか、独力でいかに情報を補完しても、六人部氏がこのDVDで示されたような精緻な領域にはたどり着けたとは思えません…
もちろん、これまでの自力でのあがきがあればこそ、この価値が実感できるのだという面はあるでしょうけど。
生身で手取り足取り教えてもらうという「理想」を抜きにすれば、本だけでも片手落ち、映像だけでももちろん不足、両方を併せて学ぶのがベターなのでしょう。
最後に。
六人部氏のマジックにこのDVDで初めて触れるという人は、今までに出版された関連書籍も参考にされれば、さらに理解が深まるかも知れません。
とくに「夢のクロースアップマジック劇場」の中でのムトベ・バニッシュの解説は、絵と文章を駆使した解説としては、ほとんど限界に近いとさえ思える詳細なものです。
とても詳しいレビューを拝見させていただきました。ものすごく欲しくなりました笑
コインはまったくの初心者ですので、目指す目標の映像として購入しようかともおもいます。
また、私も書籍派です。じっくり読みながら手を動かすこと自体も楽しいものです。「夢の〜」も機会があれば購入したくおもいます
コメントありがとうございます。
正直言うと、現代の超絶テクニシャンのコインマンと比べれば、どちらかといえば地味に見えるかも知れません。
しかしそれは逆に言えば、難しい技術やアクロバティックな手法というよりも、あくまで氏の視線は実践を目指したところにあるということでしょう。
氏の演技や技法が、アングラでありつつも、20年ほど前のコイン奇術の先端潮流を作ったことは事実です。またそれが現代の先端コイン奇術に繋がっていることも確かだと思います。
自分も何か月か前に購入しました。続編が撮影中だというのでGINに問い合わせてみたら、
今作が2009年に制作を開始したそうですが、
六人部さんのスケジュールの合間を縫って撮影してやっとこさ発売できたそうなので、
次回作発売の予定はかなり先になるそうです。
それまでDVDの内容をマスターしておかないと・・。
なるほど、今作は企画自体がゼロからのものだったということはあるにしても、開始から発売まで5年近くかかっているわけですか。
そうなると、次回作はまだまだ先になりそうですね。
今作は技法が充実していましたが、手順はどちらかというと習作的な感じがしました。
次回作ではさらに本気の奇術作品を見てみたいものです。