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【書籍紹介】ホァン・タマリッツ カードマジック(BEWITCHED MUSIC―SONATA)

英語版が1991年に出版された「Sonata」は、現代の魔法使いホァン・タマリッツの魔法の手の内を解き明かした名著として、多くのマジシャンに読まれてきました。
去年の10月に、この「Sonata」の邦訳版「ホァン・タマリッツ カードマジック」が東京堂出版から刊行されましたので、今回はこちらの本の紹介をいたします。
翻訳者は、これまでにデレック・ディングル、ロン・ウィルソン、ジェイ・サンキーの作品集の翻訳などを手がけられている、角矢幸繁氏です。

数年前の「アスカニオのマジック」、それから去年のタマリッツ著「ファイブ・ポインツ」、そして今回の「ホァン・タマリッツ カードマジック」と、元々スペイン語圏の名著として知られた本が、このところ数多く邦訳されています。ありがたい時代ですね。

 

マジックを演じる立場で長く続けていると、マジックを知らない頃に惹かれ、心ときめいたような、何の手がかりも得られない魔法のような不思議現象というのは、なかなか味わう機会がなくなります。
もちろん、それだけがマジックの魅力というわけでは、全くありません。ですから、純粋な不思議が味わえなくなったからといって、自分にとってマジックへの興味が薄れるということはありません。
しかし、魔法のように鮮やかに騙される経験というのは、マジシャンにとってはなかなかめぐり合えないだけに、それだけ一層甘美なものです。

ホァン・タマリッツは、マジックの専門家をさえ騙すことの出来るマジシャンです。
マジシャンが記憶の果てに捨て去りかけながら、しかしなお渇望し続けている、本物の不思議体験を提供できる、現代の魔法使い。
そして、スライディーニやバーノンといった過去の名人と同様に、タマリッツの奇跡もまた、徹底的に合理的な思考と戦略の実践によって達成されている。
そのことを解き明かすのが、本書というわけです。
Tamariz Sonata左側が本書、右側がその原著である「Sonata」です。

なお、今回の「ホァン・タマリッツ カードマジック」の原著である「Sonata」については、10年ほど前に私の旧サイトでも紹介しております。
各掲載作品の概略等も紹介していますので、よろしければ旧サイトの記事「洋書の紹介-Sonata-」も併せてご覧いただければ幸いです。

今回は全作品をレビューするということではなく、日本語版を読んだ上で、あらためて感じたことなどについて綴ってみます。

 

ホァン・タマリッツについて

ホァン・タマリッツは、現代の存命中のマジシャンの中では、間違いなく世界の5指に入る名人でしょう。
個人的には世界第一だと思っています。クロースアップマジシャンとしては、そのような評価に異存の無い人も多いのではないでしょうか。

氏の故国スペインでは、1970~80年代ごろからすでに、奇術のスターとしての地位を築かれていたようですが、日本ではあまり知られていませんでした。
その頃の日本マジック界は、海外奇術情報といえばほぼアメリカ経由であり、英語文化圏以外の奇術情報は限られていたのですね。

日本でその名を知られるようになったのは、1994年の横浜FISMの数年前あたりからでしょうか。横浜FISMでは、数多くのマジック界のビッグネームとともにタマリッツ氏も来日され、日本のマジシャンにその妙技を披露しました。
FISMでの演技だけでなく、各地のマジック関連イベントにも顔を出されました。私が当時所属していた京都のマジッククラブの例会にも来られ、その場にあった物を使った即席(のように見える)カードマジックを見せてくれました。そのときにカードを引かされたのは私で、今なお種の分からないこの奇術経験は、今でも私の記憶の中の至宝です。

スペインには、英米の奇術とはまた異なる、独特の奇術文化圏があります。その祖となったのが恐らくアスカニオで、現代ではタマリッツがこのスペイン・クロースアップマジック文化の中心的存在と言えます。

なお、ホァン・タマリッツの名前の日本語表記についてですが、従来はファン・タマリッツとかワン・タマリッツといったカタカナ表記をよく見かけた気がします。
今回の書籍で採用されたホァンという表記は、なるべく原語の発音に忠実な表記ということでしょうか。
この本に限らず、翻訳者の角矢氏による外国人人名の表記には、これまで日本で一般的に見られた表記に囚われず、原語発音に近い表記を定着させたい、というような意思が感じられる気がします。

 

「ホァン・タマリッツ カードマジック」の掲載作品

タマリッツの本としては、「ファイブ・ポインツ」は全体的に奇術理論寄りの内容でした。それに対して、「ホァン・タマリッツ カードマジック」は、より作品集としての性格が強い本です。

上でも書きましたように、ここでは全掲載作を紹介するのではなく、日本語版を読んだ上で印象に残ったものや、感じたことを書いてみたいと思います。

ザ・タマリッツ・パーペンディキュア・コントロール

氏のオリジナル技法の中でも、とくに有名な技法ではないでしょうか。この技法の考案者本人の手になる詳細な解説が、日本語で読めるのは幸せですね。
ダイアゴナルパームシフトとスプレッドカルを合わせたようなコンセプトの技法で、非常に応用範囲の広いものです。
また、目的のカードがちょっと普通の技法とは違う動きをしますので、角度に強く見破られにくいと思います。

あまり関係ないですが昔、大阪のミスターマジシャンの根本氏の手になるサービス原稿で、「絶対に見破られないパーム」としてディック・コーンウィーダーの方法が紹介されていました。これが、このパーペンディキュア・コントロールと似ている気がします。

ザ・タマリッツ・ターンノーバー

これも有名な技法です。が、先ほどのパーペンディキュア・コントロールとは異なり、あまり技法名は広く知られてはいないのではないでしょうか。
正直なところ私自身この本を読んで、「あ、この技法ってタマリッツ考案だったのか」と少し驚いた記憶があります。
この本にもそのあたりの経緯は書かれています。タマリッツが見せた技法が、アメリカでクレジット曖昧なままに広まったようです。

技法自体は難しいところはなく、また極めて頻繁に用いられる基本技法に付随するものですから、使える機会は多いです。
ここではタマリッツ自身のやり方以外に、アスカニオのアイデアなども含めて、幅広く詳細に紹介されていますので、すでにこの技法を知っている人にも学ぶところが多いと思います。

暗い日々

どちらかと言えば小品と呼べる作品でしょうか。現象そのものよりも、特にセリフが面白いマジックです。
7枚のカードを曜日に見立てて、月曜日は暗い日だ、なぜなら~と始まります。それが日曜まで続き、結局全部暗い日だということになります。「貴方にとって暗い日は?」と尋ねながら、その日にあたるカードを覚えてもらいます。マジシャンはそのカードを当てますが、そこからさらに小粋で不思議なクライマックスが待っています。
楽しく演じるには、話術がとくに重要になりそうです。

ロイヤル・アセンブリー

この作品は、エース・アセンブリの中でも複雑なプロットに属する、カードパズルのテーマです。
つまり、アセンブリでエースが1箇所に集まるだけでなく、他の3つのパケットにもそれぞれ別々のフォア・オブ・ア・カインドが集合する、という複合的プロットです。

タマリッツはこれを自身のコンテストアクトで、トリネタに使っていたそうです。それだけ自信があり、効果も高いマジックということなのでしょう。
エース・アセンブリ自体、どちらかと言うとカードマジックの中ではマニアックな部類です。そしてその中でも、カードパズルのプロットは特に複雑化し過ぎて、奇術本来の観客を楽しませる要素に欠ける、という意見さえあるほどです。しかしタマリッツのロイヤル・アセンブリーは、機会があれば練習してやってみたいと思わされました。

ハンドリングはそう難易度の高いものではありません。しかし全体にタマリッツ一流の繊細なサトルティが散りばめられているので、適切に演じられればかなり説得力が高いと思えます。
しかし、タマリッツの作品全体に言えることですが、繊細なサトルティを繊細に見えるように演じては台無しなのです。手元への無関心を装い、あたかもアドリブのように、時には乱暴にさえ見える演技を、その実計算し尽くして演じ切ることの出来る、タマリッツの実力あってこそ真価が発揮される作品なのかも知れません。

ジョーカーの催眠術

これはカードマジックとしては大奇術の部類です。プロットとしてはEverywhere and Nowhereです。
が、単にこのプロットの現象をそのまま見せるのではなく、これがジョーカーの魔力による催眠術の影響である、という演出になっています。
そしてジョーカーの魔力というのが単なる演出だけのためではなく、ミスディレクションやハンドリングにも密接に関わっています。

正直、この手順は難しいです。かなり昔に私も一度練習して演じたことがあるのですが、そのときの自分には表現しきれないと思いました。
手順の中の全てのセリフや動作には意味があり、ちょっと体を傾けたり手を休めたりするような何気ない所作も含めて、要素が複雑精緻にデザインされています。
それらをそのまま他人が追随して練習しマスターするのは難しいです。しかし稀代の名人による手順構築の思考と実践の具体例として、手順構成自体を鑑賞するだけでも、至福の知的体験です。

目が節穴でなければ、おバカでもない

これは氏の作品の中でも広く知られ、また演じている人が多い奇術です。
手順としてはセルフワーキングトリック(技法を必要とせず、所定の操作を行えば自動的に出来るトリック)であり、高度なミスディレクション等も必要としないからでしょう。

ただし単なるセルフワーキングとは言い切れない気もします。この作品でもまた、プレゼンテーションが手法(もしくは原理)と一体となって結びついており、タマリッツらしい一流の思考が味わえます。
現象としては、比較的単純なカード当てです。2人の観客に覚えてもらった2枚のカードを当てるのですが、当てるための助けとなりそうな可能性を次々に潰し、どんどん不可能性を高めてゆく演出になっているのが、この作品の際立って楽しいところです。
さらには、表面上は可能性を次々に排除してゆくための、まさにその一連の操作によって、裏側ではカードを見つけるのがどんどん容易になっています。このあたりの背徳感のような感じは、演じている側としては楽しめる要素でしょう。
もちろん、そのような裏側の逆相関な関係が観客に開示されることは無いのですけども。

トータル・コインシデンス

裏色の異なる2つのデックを使います。それぞれ観客自身によってシャッフルされた後、それぞれのデックを赤と黒のスートごとに分けます。分けられたパケットのうち赤パケットを、それぞれのケースにしまいます。残りの黒い半分のパケットを使って、観客が自由に選んだ2枚のカードが一致するなどの現象が演じられます。その後、残りのすべてのカードの順番が一致していることが示されます。

文章で書くと分かりにくいですが、非常に派手で不思議なマジックです。観客自身がしっかり混ぜたという印象(というか実際に混ぜていますが)が強いので、うまくハマればマジシャンにとっても不思議に見えるでしょう。セルフワーキングと言ってよい構成であるのも、そのような効果を助けます。
ただ、観客にシャッフルさせる場面では、リフルシャッフルが求められます。海外ではどうなのか分かりませんが、少なくとも日本ではこれは難点となりうるでしょう。「リフルシャッフルしてください」と言葉で指定するのも不自然ですし、そもそもリフルシャッフルが出来ない人も多いです。
公明盛大に演者がゆっくりとシャッフルしてからスプレッドして、観客自身に揃えてもらう、などのやり方が現実的なところでしょうか。

個人的にはこの作品、前述の「目が節穴でなければ、おバカでもない」に共通する発想があるように思えます。

移動するカード

これはL&L Publishingから出ているタマリッツのDVD「Lessons in Magic」収録作品の中で、個人的に最も印象に残ったものでした。私はレクチャービデオを観る際、普通はまず演技部分を全部一通り観てから、気になった作品の解説を観る、という順序を取ることが多いです。しかしこの作品では、演技を観た瞬間に気になって、そのまま続けて解説を観たという記憶があります。

現象は、パケットからパケットに数枚のカードが飛行する、カードアクロスです。このプロットでは一般に、移動するカードが何であるかには関知しない作品と、観客に選ばれたカードが移動するという作品の、2系統があるようです。
今回のタマリッツの作品ではさらに進めて、観客が心で思っただけのカードを移動させる現象としています。個人的な印象では、この「心に思ったカードの飛行」というプロットでは、ギミックの優位性が際立つように思えます。このタマリッツの手順でも、古くからある原理を巧みに応用し、簡単なハンドリングと鮮やかな現象を成立させています。

3つのグラスを使った予言

これもStevensのビデオに収録されていた作品です。
あらためて文章で読んで、その構成のうまさに感動しました。とくに、エキボックをエキボックと感じさせないような戦略などは、ほかの手順にも適用できそうな有用なTipsだと思います。

 

「ホァン・タマリッツ カードマジック」の全般的感想

一般に近現代の奇術は、合理的思考に裏打ちされているといっていいでしょう。
しかしこの時代の名人や天才と呼ばれる奇術師は、言ってみれば天才タイプと秀才タイプに分類されるように思います。感性で自分にとっての最適解を見出すタイプと、合理的思考によって自分の解を求めるタイプ、とでも言えましょうか。
まったく個人的な感覚ですが、例えば前者の例は、マックス・マリニとかスライディーニなどが該当するかも知れません。いえ、彼らが努力していなかったという意味では全くないですよ。

タマリッツはどうでしょうか。本人のハチャメチャな演技を見ただけで判断すれば、センスに基づく天才タイプと見てしまいそうです。
しかし本書を読むと、彼が実は徹底的な合理的思考の持ち主であり、さらにそれを実践に落とし込む努力が出来た人なのだということが見えてきます。いえ、どんな世界でも一流の人間に、努力していない天才なんて居ないのかも知れませんけどね。それにしても本書に記された、微に入り細を穿つ繊細な思考と情熱は圧倒的です。

 

それからもうひとつ、強く感じたのは、タマリッツはプロマジシャンであり、同時にアーティストなのだということです。これは何も、彼の演技が芸術的に見えるという話ではありません。扱う芸についての立ち位置の話です。
こういう分類が適切かどうかは分かりませんが、マジシャンはアーティストとビジネスマンの2つの傾向に分けられると思います。これは、自分自身のやりたいこと、表現に対する優先度の差と言い換えてもいいでしょう。

ビジネスマン的傾向とは、プロマジシャンで言えばクライアントや観客優先ということ。ときには自分のやりたいことを殺してでも、クライアントの要望を満たし、観客を満足させることを優先する。アマチュアでも、自分の満足よりも観客を楽しませることを最優先にするなら、ビジネスマン的と言えるかもしれません。

それに対して、アーティストの優先順位は、まず自分自身の中にある「表現したいこと」が先に来ます。もっとも実際問題としてはプロマジシャンは、言葉通りの芸術家たることは困難なので、観客を完全に無視することまでは出来ないでしょうけど。
しかしアーティスト的傾向のマジシャンは、自分自身が目指す表現が実現できていなければ、たとえその演技で観客が満足していたとしても、十分ではないわけです。観客の満足はただの偶然であって、自分の力によるものとは言えないと。あるいは、理想とするイメージが実現できれば、現在よりもワンランク上の満足を観客に与えられる、ということかも知れません。こういう話は、あえてアートとか芸術などの言葉を借りてこなくても、日本に古来からある「芸」という概念には、そのぐらいの考え方は十分に包含されてそうではあります。
いずれにしても、観客から素晴らしい反応が帰ってきて、充分なギャラが稼げたとしても、それで満足せずさらなる高みを目指す、そういう思想が、この本の全体から感じられました。それが最も端的に読み取れたのは、「ジョーカーの催眠術」の前書きです。

 

タマリッツのマジックに対するアプローチは、上記のようにストイックな完璧主義で芸術家的気質に見えます。またそれだけでなく、観客の経験の中での奇術を「たかが手品」で終わらせず、価値を高めようとする意図があるように思えます。観客に対してだけでなく、社会の中での重要性も高めようとされてもいるようです。
しかし、そのために氏によって磨かれ積み上げられてきた奇術のディテールは、我々一般人がそのまま追いかけるには手ごわすぎます。繊細で細かいだけでなく、氏の個性に拠るところの癖もあるようにも感じられます。
タマリッツの演技は一般に、同様の現象の他のマジシャンによる演技よりも時間的に長くなる傾向にあると思います。それだけの長い演技時間を、観客にとって豊かな体験として間延びせずに提供できるというのは、氏が人生をかけて積み上げられてきた経験と実力によるところが大きいでしょう。

本書に記された、氏の奇術のディテールに対する圧倒的な思考彷徨は、それを読者がそのまま追従し模倣するために提供されているのではないような気がします。
仮にそれを行ったとしても、よく出来て一人の劣化タマリッツが出来上がるだけです。そうではなくて、当代一流の巨匠が、魔法のように見える演技の裏に、これだけの合理的思考と実践の積み重ねをしていること、その実例を追体験するつもりで読む。
そして、可能ならばそれを読者自身の奇術人生に落とし込み翻案するというのが、実りある態度ではないでしょうか。

 

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