「これから、世界で最も古いマジックをお見せします」
カップ・アンド・ボールの演技の前によく言われるセリフです。
これは必ずしもただの演出上のセリフではなく、それなりの事実に基づくものです。
よく言われる話として、古代エジプトの墳墓の壁画に、カップ・アンド・ボールを2人の人物が演じている絵がある、というのがあります。
この壁画自体が本当にそうなのかについては、異説もかなりあるようで、本当のところは分かりません。
しかし、少なくとも古代ギリシャやローマの時代ぐらいからは、この種のマジックが演じられていた記録はあるようです。
何にせよ、古代の壁画にまでこのマジックの記録がある、というのは夢のある話ですね。
私にとってカップ・アンド・ボールは、カードマジックともコインマジックとも異なる、いかにも奇術らしい感情を揺り起こしてくれる、得がたいトリックです。
このマジック自体はとくに仕掛けのある道具を使うものではないので、グラスにナプキンを巻いたものとか、普通のマグカップ、あるいは紙コップなどでも演じられます。
しかし個人的には、専用のあの金属製のカップを使ってこそ、この奇術の魅力が引き立つ感じがします。
カップの金属の質感、ボールの触感、そしてマットの色彩、ウォンドの軽やかな動き。これらが一体となって織り成す旋律。
私にとっての、クロースアップマジックの王様、それがカップ・アンド・ボールです。
そんな古典的なマジックであるカップ・アンド・ボールですが、幾人かの近代的な奇術の名手達の手により、合理的な技法と見せ方の工夫を加えられ、現代にまで受け継がれています。
今回の記事では、カップ・アンド・ボールの手順としては近代のクラシックとして、多くのマジシャンから標準手順と見なされている、ダイ・バーノンのルーティンを紹介しましょう。
カップ・アンド・ボールとは
当サイトでカップ・アンド・ボールを扱うのは初めてなので、まずはこの奇術がどういうものなのかを簡単にご紹介します。
小石程度の小さな物体を、握って消す、というのは手品の基本的な現象です。
これを、コップ程度の大きさの容器と併せて、変化をつけて演じるマジックがカップ・アンド・ボールです。
小石だけであれば、消したり出したりする程度しか出来ませんが、カップを併用することによって、様々な現象が可能となります。
例えば、消えた物がカップの中から現れる、逆にカップに入れた物が消えて、手から現れる、カップを貫通する、移動する、入れ替わる、全く別の物が出現する、などなど。
さらに用いるカップを複数にすることによって、表現できる現象のバリエーションは飛躍的に広がります。
カップ・アンド・ボールにはマジックの要素の多くが含まれています。
ミスディレクション、手練技、そしてワン・アヘッド等の主要な原理。
マジシャンの腕を見るには、カップ・アンド・ボールを演じさせてみれば良い、とさえ言われたぐらいです。
ところで、冒頭で少し書いた、エジプトの墳墓遺跡の壁画とは、以下のようなものです。
恐らく誰もが、どこかで見たことがあるのではないでしょうか。(画像はお借りしました)
子供の頃に親しんだ手品本では、この図が「カップ・アンド・ボール」を演じている図である、ということがよく書かれていました。
実際にマジック界ではこれが定説とされた時期もあったようですが、最近では否定されつつあるとも聞きます。
学術的な世界では、これがマジック演技場面であるとの説は否定派のほうが多いようです。
間違いなくカップ・アンド・ボールを演じていると分かる絵で有名なのは、1450年頃に描かれたヒエロニムス・ボッシュの「手品師(いかさま師)」という絵画です。(画像はお借りしました)
この絵画は当時の大道芸としてのカップ・アンド・ボールを、よく観察して描かれています。
道具立てや手品師の服装、持ち物など、細部がとてもリアルな絵です。
左端の、観客の財布をすり取る男の描写も面白くて有名です。
さらに近世時代の古典的なカップ・アンド・ボールの名手として、バルトロメオ・ボスコがいます。(画像はお借りしました)
彼はあのJ.N.ホフジンサーと同時代人で、ボスコに憧れ続けたホフジンサーは彼の域を目指してカップ・アンド・ボールに取り組み続け、ついに絶望してこの演目をあきらめたとも言われます。
ボスコのカップ・アンド・ボールはこの時代のマジシャンらしいもので、おどろおどろしく、もったいぶった大仰なものだったそうです。
彼のカップ・アンド・ボールを観た同時代人、ロベール・ウーダンの筆によれば、以下のような感じです。
舞台のカーテンが開かれた。
長い台の上に黒い布がかかり、その上には磨かれた様々な道具とともに、数本の蝋燭が立っている。
上部には髑髏の飾りがあり、葬祭の雰囲気を感じさせる。
前方には茶色のクロスがかかったテーブルがあり、5個の真鍮製カップが置かれている。
銀のベルが鳴り、ボスコがステージに登場した・・・
興味深い情景ですが、現代の目から見れば、いかにも古風です。
そんなカップ・アンド・ボールという芸を、近代的でスマートな演目に変えたのが、マックス・マリニです。
彼によって、この奇術は舞台や大道芸特有の演目から、パーティーやレストランなどでも気軽に演じられるマジックへと変貌します。
そしてこの流れは、ダイ・バーノンによってひとつの完成形に達することとなるのです。
なお、上で述べた概略は主に欧米のカップ・アンド・ボールについてです。
これとは別に、世界各地に同種の伝統的なカップ・アンド・ボールがあります。
日本では「お椀と玉」、インドでは「ヒンズー・カップ」、また中国にも陶器の茶碗を使ったマジックが伝わっているようです。
これらの演目では、それぞれ独特の伝統的な技法なども存在し、研究してみると面白いものです。
「お椀と玉」や「ヒンズー・カップ」については、私も機会があれば取り上げてみたいと考えています。
なお、カップ・アンド・ボールに用いる各種用具については、カップ・アンド・ボールに必要なものをご覧ください。
ダイ・バーノンのカップ・アンド・ボール
では、かなりもったいぶった形となりましたが、いよいよダイ・バーノンのカップ・アンド・ボール手順の紹介です。
動画にしてみましたので、まずはよろしければご覧ください。
この手順は手早く演じれば5~6分で演技可能な手順ですが、この動画ではゆったりと演じてしまったせいか、8分超の長さになってしまいました。その点だけご容赦ください。
Youtubeなどで、ダイ・バーノン自身が演じるカップ・アンド・ボールの演技がいくつか見られますが、いくつかバリエーションがあるようです。
上の私の動画は、1956年のルイス・ギャンソン著「Dai Vernon Book of Magic」に掲載された手順のものです。
バーノンは古くからあるこのマジックに、近代的で合理的な方法論を取り入れて構成しています。
最初の3つのボールが消えて、それぞれカップの中から出てくる段の方法などはその一例でしょう。
最初の3つのボールの消失のうち、3個目で使われる技法も、特徴的なものです。
これはサイレント・モーラというマジシャンの技法をヒントに、バーノンが考案したもので、今日一般にバーノンのウォンド・スピン・バニッシュと呼ばれています。
手順の近代化という意味で、この手順の功績のひとつは、ファイナル・ロードの簡略化という点が挙げられます。ファイナル・ロードとは、最後に大きなボールや果物など(この動画ではレモン)が出てくる部分の手法のことです。
近代以前のカップ・アンド・ボールでは、テーブルに仕掛けを施したり、マジシャンの衣服やカバンを特殊なものにする必要がありました。今日でも、ストリートマジックでカップ・アンド・ボールを演じるマジシャンの中には、これに近い形で演じている人もいます。
バーノンの手順では、そのような面倒な仕掛けを無くし、全く普通の服装、普通のテーブルでそのまま演じられるようになっています。
このような方法論自体はマックス・マリニの流れを汲むものですが、それを誰でもが取り組みやすいような形で、合理的な手順に構成したことが、バーノンの功績でしょう。
”このような方法論”などと奥歯にものが挟まったような言い方で、申し訳ありません^^;
やっぱり、ダイレクトに方法を書くわけにも行きませんので・・・
バーノン手順の長さについて
現代の多くのマジシャンにとって、カップ・アンド・ボールの標準手順となっているバーノンのルーティンですが、今日的な視点からすれば、手ばなしで賞賛しきれない部分もあります。
まず第一に挙げられるのが、手順全体が少々長すぎるという点です。
私の動画は8分超になってしまい、これはいかにも長いとしても、もう少しスピーディーに演じても5~6分はかかるでしょう。
現象の大まかなくくりで分けても、全体で7段にはなります。もっと細かく分ければ10段ぐらいにもなるでしょう。
確かにこれは長い。現代の多くのマジシャンが、バーノン手順をベースにしつつも、多かれ少なかれシェイプアップして演じている所以です。
恐らくはバーノンの手順にしても、かつてのバルトロメオ・ボスコなどの時代のカップ・アンド・ボールに比べれば、短くコンパクト化されているのだろうと想像は出来ますけどね。時代は流れるものです。
私自身が普段演じる手順でも、バーノンの手順をベースとしつつ、現象の数を絞って、多少短くはしています。
コンパクト化するという意味で究極の選択は、カップ自体を減らすことです。
その面で、いわゆるチョップ・カップは最もスリム化された形であり、これは手軽な演技を好む現代のマジシャンに広く受け入れられています。
またチョップ・カップではありませんが、ラリー・ジェニングスのワン・カップ手順も有名です。
ただし、カップの数を減らすということは、現象の可能性を減らすということでもあるのです。
3個のカップ・アンド・ボールと、1個のチョップ・カップとでは、もはや別のマジックと言っても良いでしょう。
間を取って2個のカップというパターンの手順も、いくつか例はあります。古くはジョン・ラムゼイ、近年ではデビッド・ウィリアムソンやトミー・ワンダーなど。
しかし私としては、3個のカップで表現できる豊かさを愛する立場を採りたいです。
状況に応じてツー・カップやチョップ・カップ等のレパートリーも持っておきたいとは思いますが、自分の本芸はスリー・カップとしておきたい。(アマチュアが”本芸”などというのも傲慢ではありますが・・・)
このあたりは、もう個人の好みというか、”愛”に属することかも知れません。
バーノン手順の嘘のタネ明かしについて
もうひとつ、賛否が分かれる箇所があります。
それは、ラスト手前の段でのサッカー・トリック的なタネ明かしの部分です。
実はこの部分のみ、上の私の動画では原案通りではなく、私自身のやり方で演じています。したがって私の動画には、このタネ明かし部分は含まれて居ません。
バーノンの原案では、あからさまに下手に見える”フレンチドロップ”を演じることになっています。
上手いフレンチドロップをそのままタネ明かしするわけではないのだから、問題ないという見方もあるかも知れませんが、やはり抵抗のある人も多いのです。
ここを別の動作、もっといかにも嘘くさい動作に置き換えて演じているマジシャンもたくさんいます。
ただ、私自身がここで感じる違和感は、手法の問題だけではないような気がします。
この箇所で唐突にタネ明かしが出てくるという演出自体が、正直万人向けではないように思えるのです。
普通の人が演じると、ここでタネ明かしの演出をすることは演技のリズムを狂わせかねないと思いますし、全体の流れにも合わない感じが、個人的にはします。
何と言うか、何でそこでいきなりタネ明かし?どうせ演技なんでしょ?と見透かされるような。
個人的には、このタネ明かしの流れはバーノン自身の個性に合ったものではなかったのか、と思っています。
バーノンは万人のお手本になる名作傑作を多く残した人と思われがちですが、意外とクセのある作風も持っています。
例えば彼のアンビシャスカード。
あの手順では、観客にタネを見破ったとわざと思わせて、その裏をかいて現象を起こす、といういわばマニアックな流れが連続しています。
そのため彼のアンビシャスカードは、万人に演じられる標準手順となったとは言いがたいのですが、カップ・アンド・ボールのタネ明かし演出も、そういう趣向に属するものである感じがします。
観客に対して普段から挑戦的な演技を行い、裏の裏をかくようなマジックを見せて、なおかつ憎まれず楽しませる。
そういう個性を元々持っているような人ならば、何の問題もないでしょう。
しかし、そうでない普通の演者にとっては、ウソのタネ明かしという演出は、出来れば避けるのが、無難だと思います。
上の動画の演技のラストの部分は、一応私が自分なりに組み立てたやり方です。
これまでに私が読んだことのある中で、バーノンの手順でタネ明かしの演出を避けたやり方としては、松田道弘氏、二川滋夫氏の手法があります。
ダイ・バーノンのカップ・アンド・ボールを解説した文献等
この手順が発表されたのは、1956年刊行のルイス・ギャンソン著「Dai Vernon Book of Magic」です。
その後1961年刊行の「Stars of Magic」には、専用のカップではなく、簡易的にグラスに紙を巻いたもので演じる手順が解説されました。
この手順ではカップを重ねたり出来ませんので、今回紹介の手順とは多少異なっています。こちらもいずれ機会があれば紹介したいと思っています。
日本語では、かつてテンヨーで売られていたカップ・アンド・ボールに付属の解説書が、基本的にダイ・バーノンの手順でした。
私がテンヨーの用具を買ったのが1980年代後半で、その後この商品の解説書はカズ・カタヤマ氏の手になる内容にバージョンアップされたようですが、そちらでも基本的にはバーノン手順であったはずです。
その他の日本語文献としては、かつて奇術研究という雑誌を発行していた力書房による冊子があったようですが、その後はバーノンの原案をほぼそのまま学ぶことの出来る文献は知りません。
松田道弘氏や麦谷眞里氏の著書に、関連する手順は解説されていますが、どれも多少のアレンジが加えられていたりで、バーノンの原案をそのまま解説したものは見当たらない感じです。
映像では、バーノン手順を解説した良教材はいろいろあります。
数多くあるDVD教材の中でも、マイケル・アマーの「コンプリート・カップ・アンド・ボール」と、カズ・カタヤマ氏の「カズ・カタヤマのザ・カップ&ボール」は、各種基本技法から手順構成の考え方まで、カップ・アンド・ボールというマジックを体系的に学べる構成になっています。
日本語文献ならテンヨーの「マジックワールド」という商品が隠れた逸品ですね。
おそらく初期のカップ&ボールに付属されていた解説書(3カップとウォンドを使った手順)がそのまま掲載されていたと思います。(後で確認してみます)
付属のカップとウォンドはプラ製でチープですが、説明書だけでも充分に元が取れる内容かと思います。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%A8%E3%83%BC-%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89/dp/B000X03Q2Q/ref=pd_sim_t_17
あの商品は解説書が充実しているとは聞いていましたが、初期の製品についていたバーノン手順解説書がそのまま掲載とは!
確かに付属の道具はおもちゃ品質みたいですが、解説書を買うと考えても十分お得な商品ですね。
すみません、昔の説明書を引っ張り出して比較してみましたが違ってました。ネタバレになるので詳しく書けませんが別物と思って下さい。
おそらく「マジックワールド」の説明書は新たに書き下ろした物かと思われます。
わざわざご確認いただき、ありがとうございます。
そうなるとやはり、バーノン手順を日本語の文章で学べる資料は、なかなか入手しにくいということになりそうですね。
おはようございます。いつも感心して見ています。
今日の午後、ある老人施設に仲間とボランティアでマジックをしに行きます。
私はカップ&ボールをやろうと思っているのですが、まだ、何をしていいか迷っています。つまり、どんな手順にしたらいいか?前に一度だけやったことがあるのですが、欲張ってボールをあっちにやったらこっちにやったり、デタラメに演じてしまい、多分、見ている方は興ざめだったと思います。あかぬけて、すっきりした手順は簡単なようで難しいです。
凧様コメントありがとうございます。
カップ&ボールは結構複雑なマジックなので、とくにお年より相手には極力単純化するのがいいでしょうね。
3カップで演じるならば、ボールの通り抜けなどを中心に、短めのルーティンにするのがいいのではないでしょうか。
shanlaさんの動画で使われている、カップはどこで買われたものですか?
フレンチドロップさんなどのオンラインのマジックショップだと、僕の知っていつかぎりでは、
金色のいい音がするカップは見たことがありません。
よろしければ教えてください。
私が動画で使っているカップは、一応自分の認識ではUday製の真鍮カップのつもりです。
どこで買ったかというのはあまり参考にならないと思いますが、ヤフオクで買ったものです。
しかし、このメーカー名で現在検索して出てくる商品とは、若干形状等が違う感じではありますね。
一応、メーカーとしては以下のカップと同じかな。
http://magicfan.shop21.makeshop.jp/shopdetail/011000000059/011/O/page2/brandname/
そんな特別高級なカップではありませんよ。
ボールとケース付きで、確か4500円ぐらいだったはずです。
フレンチさんは確かに、普通の3カップのセットをあまり扱っていないような感じですね。
上で挙げたファンタジアさんは、真鍮製や銅製も含めて、結構数多く扱っていますね。
http://magicfan.shop21.makeshop.jp/shopbrand/011/O/page1/brandname/